「削除された図式 / THE SIX MAGNETS」
会期:2020年8月6日(木)-8月24日(月)
会場:ART TRACE GALLERY / アートトレイスギャラリー
時間:12:00-19:00
休廊:なし
https://www.gallery.arttrace.org/202008-handa.html
【展示作家】
荒木佑介/田巻海/半田晴子/平間貴大/三輪彩子/室井良輔
【アーティストトーク】*イベント変更のお知らせ
8月8日(土)18:00から予定していたアーティストトークは、閉廊後の19:00から無観客で行うことに変更となりました。
以下のURLからライブ配信します。
配信URL:https://www.youtube.com/channel/UCbqtJqdtaAdKyAkicoZ8rRQ/live
写真=田巻海
【展示ステートメント】
2019年3月、私(半田)は念願だった中国東北部を訪れた。戦前「満洲国」と呼ばれた日本の植民地は私の父親の生まれ育った場所であり、また祖父が「新しい国家」建設に関わり挫折した場所であった。
長春(新京)をバスで巡った第一印象は道なりがほぼ当時と変わっていないという驚きであった。都市構造がそのまま残っているのを目の当たりにした時、日本の近代化との関係を考えてみたいと思った。
現代の都市計画運動の古典に「明日の田園都市/エベネザー・ハワード(著)」※がある。
これはハワードが産業革命後のロンドンを想定して著したものであるが、国を超えて近現代の都市計画に影響を与えてきた。またハワードが「明日の田園都市」改訂の際に「行政:俯瞰図」という章と、巻末にあった「補遺:水の供給」を削除している点に注目した。
本著の中でハワードは田園都市の発想を3つの磁石(町・いなか・町いなか)を置くことによって都市計画を展開した。私はこの「磁石を置く」ことを手掛かりに、6名のアーティストの作品を「6つの磁石」として置くことにした。磁石はそれぞれ「田園・都市・境界線・流通・歴史(日本・植民地)」とした。
「明日の田園都市」改訂前の削除された図式に注目することで、ハワードの真意とは何か、後世においてそれはどう機能したのかを表出したいと思う。過去と今現在の都市との関係性を可視化する試みである。
企画者:半田晴子
※「新訳」明日の田園都市/エベネザー・ハワード著、山形浩生訳、鹿島出版会を参照。
《TOTO TEN76G、HiMACS G87、AICA KMB9AGW、AICA K-6003KNによる洗面化粧台》
2020 人工大理石、木、ステンレス、塩ビ管、電線、鉄、鏡
写真=田巻海
洗面化粧台とそこから伸びる配管の作品です。塩ビの配管は壁に沿ってギャラリーバックヤードの水栓と排水管にそれぞれ繋がっているので実際に水を流して使用できます。
百貨店の化粧室をイメージして正面に鏡と白い洗面台、化粧扉を設置していますが、台の側面は空いていて配管と台の構造が見えるようになっています。そこを見ると配管と洗面カウンターは壁に固定されていることや化粧扉裏面の仕上げが木の素地のままになっていることが分かります。つまり洗面下台は収納の機能もなく、洗面ボウルの重量を支える「台」としての役割もありません。化粧扉に関しても百貨店など不特定多数が利用する場所では利用者の目に触れない所はこのような必要最低限の仕様になっています。このように洗面化粧台は配管と構造を覆い隠す表面だけを装った「壁面」として機能しているのです。
今回水洗設備の接続や配管、洗面カウンターの固定金具は各メーカーの指示書に従って施工しています。この洗面化粧台は仕上がりを施工者(作家)の技量や感性に左右されず出来上がり、さらにこの作品と同様のものが街の各所に存在しているということでもあります。
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そもそも作り始めることになったのは、今回の展覧会にあたり、ハワードの著作の中で言及される「田園都市」というキーワードを企画者の半田さんが「境界線」と読み替え、それに沿って作品を出すよう依頼があったことにあります。そこで自分の関心と引きつけつつ街や都市計画について考えたとき、インフラとしての水の存在を思いました。都市で利用される水は街の隅々まで流れている。水道水には給水(上水)と排水(下水)という流れがあって、その流れが接して切り替わるちょうど真ん中に洗面台があります。境界にある造形物を作りました。
また作品をギャラリーに置いて街と切り離して考えるのではなく、その街の水道インフラに文字通り「接続」してしまおうというものです。
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作品のきっかけは保育園で洗面台を見たことにあります。その洗面台は小さく低く作られていて一見ミニチュアのような印象でしたが、園児が適切に利用できるサイズになっていました。これは「教育」の形だと思いました。手洗いやうがいの機能より、衛生観念を身につけるための教育という概念が前景化している。そこで洗面台というものを、ひとつの「概念」が宿るもの/コンセプトの容れ物として作品化することができるのではないかと考えました。
《神棚としての建築模型》
2020 木、紙、スチレンボード、塩ビ板、真鍮ワイヤー、陶器、水、米、塩、水、酒、造花榊、鏡、御札
写真=田巻海
神棚を作りました。通常は神社の形式の小さな社殿が置いてありますが、今回そこにはここのアートトレイスギャラリーが入っている建物「秋山ビル」の1/50スケールの建築模型を据えました。
設置する位置やお供えするものは神棚の作法に沿っています。これも洗面台と同じで設置者の感性や意図とは別の決まり事に沿って作られています。建築模型の中に御札、手前に鏡を置きお祀りしています。この御札や鏡に神という概念が宿るものとして存在しています。
本来計画検討に使われる建築模型は、社殿として据えられた時点でその用途から離れ、縮尺のミニチュアでなくなります。神の依り代として原寸の存在になります。もしくは物としてのスケールを持たなくなるということでもあります。
神棚がスケールを持たないということと同じように、街にある神社もサイズにとらわれていません。明治神宮のような大きな敷地を持つものもあれば、ビルとビルの隙間に小さな社があって神社と呼称しているものがあります。現在の日本には神社が無数に存在していて(コンビニの数と並んで東京にはある)、ひとつの環境インフラとして機能しています。
神棚は部屋の中に結界を張り俗域の空間を区切り神様の居所を作ります。ひとつの空間に別の空間を作るという入れ子の構造になりますが、さらにそこに俗域の建物と同形の社殿を入れることで、その境界を曖昧にするような複雑な入れ子になります。さらにその部屋の外にある神社に目を移せば、俗域の中に神の聖域が混在する街の様相が見えてきます。
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洗面台から伸びる配管はギャラリー内を通って実際の水道設備と繋がります。ギャラリーを見渡すと天井にも別の配管があり、それを辿って行くと外に出て地中に伸びているのが分かります。外に出ると建物外壁に配管や電気配線が、縦横無尽に壁を這って地中や外の電柱へと伸びています。建築模型にはこの外壁を這う配管や配線などが表現されています。
今回の給排水の境にある洗面化粧台や人の俗域と神の聖域を区分ける神棚は、内と外を隔てる壁面のようでもあり、物同士が接する界面のようにそこにあります。その両者に共通して通る配管は、その作品やギャラリー、そして建物・街といったもの同士を繋げ、その領域を可視化するようなものかもしれません。